遊女リンの苛酷な状況に無理解なすずは弱者のまま加害に加担していた。考察:『この世界の片隅に』

こうの史代『この世界の片隅に : 下』

こうの史代『この世界の片隅に : 下』

第二次世界大戦中の広島県呉を舞台にした家族の物語、『この世界の片隅に 』

圧倒的な力で人々を飲み込んでいく戦争。生活の厳しさにあえぎながらも、日々の幸せを愛おしみながら支え合って生きる人々の優しさを描きます。

しかしこの作品、ただのほのぼのマンガではないんですよね。けなげな笑顔に隠された弱者の残酷さやズルさを、冷ややかなまなざしでえぐり出してもいるのです。

Kindle Unlimitedのライブラリでおすすめされて何気なく読んだ『この世界の片隅に 』。丁寧に読むととんでもなくて、この2日間で4回くらい連続で通しで読んでしまいました。

せっかくなので今までにわかったことをシェアしてみたいと思います。

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善意の人々による暴力の肯定

『この世界の片隅に 』に繰り返し描かれているのが、相手の状況に対する無理解によって、善意の人々が差別を維持する様子です。

ひんぱんに出てくるすずの”おっちょこちょい”は、悪意のない人々が無自覚に他の人を殴ることのメタファー。↓

たとえば、これはすずが花吹雪の中で、亡くなった遊女・テルの遺品である紅皿を見つめるシーン。紅皿は遊女の、風に舞い散る桜ははかない命のメタファー。

↑あとで詳しく一緒に見ていきたいと思いますが、最後のコマに「嫁の座が奪われるかも知れないってハラハラしてたけど、遊女ってどうせすぐ死んじゃうんだもんな。」と安堵が混じったような複雑な表情を浮かべるすず。

この「人の死によって自分の居場所が守られる仕組み」は、このあとも繰り返し登場します。

すずだって遊女と同じように、構造的な女性差別のせいで知らない男の家で重労働させられている、居場所の定まらない弱者。

(↑教育を受けていないために主婦業が務まらず、遊郭から逃げてもイエ制度には居場所を見つけられない、すずよりさらに立場の弱い遊女のリン。)

けれど「世間ってそんなもの」と”常識”を受け入れた瞬間、人の死を喜ぶような醜さを抱え込むことになってしまう。「仕方ないかも知れないけど、みんながそうやってひそかに”世間という名の暴力”を肯定してきたから、差別は維持され続けてきたんだよね」という、作者・こうの史代さんの声が聞こえてくるような気がしました。

『この世界の片隅に 』イエ制度における居場所1が大きなテーマなのですが、残念ながらそれが得られるのは限られたメンバーなんですよね。どこのイエも貧しくて、養える人の数には限りがあるからです。

で、イエでの居場所が奪われるとどうなるかと言うと、行事のときに仲間外れにされたりバカにされたりして、その地域では社会的に死んでしまうんですよね。この時代は祭りやら農作業やら、戦争もあいまって年間を通してイベントが盛りだくさん。その上、家電も配達や修理などのサービス業なども未発達なので、親戚や地域の人と助け合わないといわゆる”まとも”な生活は送れない仕組みになっています。

では、順を追って詳しく見ていきたいと思います。

遊女と結婚出来なくて渋々すずと

主人公のすずは18歳で結婚し、実家の広島から呉の北條家に引っ越してきます。

夫の周作とはお互い顔もろくに見ないうちに結婚が決まったけれど、だんだんと気心が知れて距離が縮まる二人。そんな折すずは、ふとしたことがきっかけで本当は周作がリンという遊女と結婚したかったこと、そしてそれが破談になったためにしぶしぶ自分と結婚したことを知ります。

↑すずは納屋の二階で、きれいなリンドウの柄のお茶碗を発見。リンドウはリンを象徴する花。

それに対し、夫の周作は

周作「そりゃ わしのじゃ すずさんにやる 使うたってくれ

嫁に来てくれる人にやろう思うて 昔買うとった物じゃ」

すず「今は持って来たんを使うとるけえ しもうとってええですか?」

周作「ああ そうしてくれ どうにも見るにたえん」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

と、投げやりに自分の気持ちを語ります。

それはまるでひとり言のようで、話を聞いたすずが傷つくかも知れないなどと思いやる様子は見られません。周作はリンのことを隠すでもなく、かと言って丁寧に説明するでもなく、ほれた女と結婚出来なかった自分の境遇を嘆くだけで精いっぱい。

周作はつい数か月前、父親と突然広島のすずの家に現れて、何の前触れもなく「嫁に来てくれ」とせまってきました。すずは周作がどこかで自分を見かけて、一目ぼれして結婚を申し込んできたと思っていたのに、代用品として間に合わせに連れてこられたと知って傷つきます。

すずは普段から義姉に冷たく当たられていることもあり、すっかり自信をなくしてリンのほうが嫁としてふさわしかったのではと思い詰めるようになります。

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男は男というだけで圧倒的強者

この周作という男は、大人しくて一見優し気なタイプなんですよね。すずは本当はマッチョな海兵さんがタイプなので、結婚以来、文官の周作をあなどるというか、甘く見てるところがありました。

しかし、そんな予想を裏切るように、周作は圧倒的な力の差でもってすずを追い詰めていきます。そう、どんなに草食でも文系でも、男は男であるだけで強者であり、女を金で買うことも出来るのです。

周作が結婚後もリンのもとに通っていたかどうかまでははっきりしないのですが、その可能性があるという事実がすずを苦しめ続けます。

↓の画像は、空からの爆撃から逃れて、すずと周作が側溝に身をひそめているところ。すずと周作は濡れながら体を重ねていて、これは性行為のメタファーです。すずが毎晩行為の最中、「あの人ともしたのね」とリンのことが脳裏にチラついていたたまれない想いでいることをほのめかしています。

↑本当はすずは水原という幼馴染の海兵が好きで、夫の周作のことは好みではないんです。だけど、何度も体を重ねていれば情もわくし、他の女と比べられれば嫉妬で苦しい。愛のない結婚とはいえ、カンタンには割り切れない男女の複雑さが伝わってきます。

ちなみにすずはマッチョで強引な男に萌えるタイプなので、男の腕に組み敷かれながら命懸けで守られているこのシチュは大好物のはず。体を起こせば撃たれるかも知れない状況で、さらにそんななか夫と「出ていく、いかない」の口論しているにも関わらず、嬉しくて周作の腰を手でギュっとしてしまいます。

人間ってぬくもりに弱くて観念だけで恋は出来なくて、ああーっ、自分を見ているようで恥ずかしくなるシーン!

持たざる者の気持ちをわかろうとしない残酷さ

優しい男の無邪気な恋は、ときには命を奪うくらい女をズタズタに傷つけるけれど、自分と異なる立場の人を無理解で追い詰めるのは女も同じ。暴力の度合いは比べ物にならないけれど、すずだってまったくの無罪ではありません。

すずは「自分ではなくて、リンが周作と結婚すればよかったのでは?」という思いから、リンドウのお茶碗を二葉館へ持っていき、リンがまだ仕事中だったので同じく遊女のテルに預けていたのでした。

↓のシーンはそれから数日後のやり取り。

すず「夫が昔買うたお茶碗なん あれ… なんか… リンさんに似合う気がしたけえ」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

リンには、言葉に出来ないすずの思いがはっきり伝わっています。わかっていながら知らんぷり。うなだれて顔を背け、ひどく傷ついて黙りこんでしまっているようにも見えます。

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女性差別が絡むと女もバグる

リンの生まれた家は、親が飲んだくれで子だくさん。口減らしのために子守りとして売られたリンは、小学校に半年しか通えず主婦になることが出来ません。家電もなく人付き合いも多いこの時代の主婦は、炊事洗濯に加え、読み書きが出来ないと務まらないからです。そのことはすずも知っているはずなのに。

リン「小学校へは半年通うたけえ カタカナならちいと わかるんじゃがね」

すず「ほうですか… ほいじゃ 名札書くんも ヤネコイ(苦心する)ねえ」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

↑このシーンは、夫の周作がリンの客であることをすずがまだ知らなかったときのエピソード。

あるときすずは帰り道がわからなくなって遊郭に迷い込み、遊女として働くリンと知り合います。後日、字が書けないリンに、すずが絵を描いてプレゼントすることで二人は仲を深めたのでした。

すずにとってリンは、嫁の座をめぐるライバルであると同時に、女の苦しみを打ち明けられる相手。だけど、思いは一方通行にすぎなかったのです。すずは字が読めない苦労に共感出来ても、遊郭を抜け出せない絶望を理解することは出来ません。女性差別が絡むとバグるのは、実は男だけではないんですよね。

すず「ほいでも周作さんもみんなも楽しみにしとってのに 子供が出来んとわかったらがっかりしてじゃ」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

↑すずは子を産まなければ追い出される嫁のツラさをリンに打ち明けますが、これって残酷なことだと思うんですよね。

すずにとって妊娠はおめでたいことであり、イエでの自分の居場所を確かにする要件でもあります。しかし客を取るために中絶しなければならないリンにとって、妊娠は自分の命を危険にさらす辛く悲しいことでしかないのです。

この時代の女性にとって妊娠・出産・中絶はいずれも、決定権は持てないのに責任だけ押し付けられる点は同じ。しかしイエ制度に居場所があるかないかによって、その処遇は大きく異なるのです。

弱者が弱者を搾取する

↑遊郭まで自分に会いに来たすずを、じっと見送るリン。すずは遊女の自分を気にかけてくれる、希少な存在。だけど二人の間には実家の経済状況や受けられた教育に差があって、すずは遊郭を出られるけれどリンにはそれが叶いません。

すずは二重の意味で逃げられないリンの運命を察することなく、イエでのうっぷんをリンに吐き出します。リンの状況に配慮しないで自分だけ対等な友達ぶって、これでは恋愛気分で女を買う客の男たちとさして変わりません。

悪気がない人々の善意の無理解に、すずは今まで十分傷ついてきたはずでした。女を買える自分の暴力性に無自覚で、自己中心的で子供のような夫の言動に、すずはさんざん振り回されてきたのに。すずだって、自分より弱い立場の相手を思いやる余裕を持たないのです。

差別がもたらす人間の残酷さ、弱さ、おろかさを、これでもかと切り取ってみせるこうの史代さん。鬼気迫る絵に背筋が凍ります。心なしか↑の絵、リンの周囲には死がただよい、すずの後ろ姿はどこか疲れてふてぶてしく見えます。

以前読んだという人も、ゼヒもう一度読んでみて下さい! 読み返すたびに新たな発見がある本です!

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野ざらしにならないことだけが希望

子を産まないと実家に帰されるというすずの話は、リンに残された最後の望みをかき消しました。もしあのまま周作に身請けされていたとしても、居場所が保障されるわけではなかったのです。

北條家を追い出されても、親に売られたリンに帰る家はありません。教育を受けていないので、遊郭以外に働ける場所があるかもわかりません。同僚・テルの病死のこともあり、この頃のリンは死を常に意識していました。↓のシーンの「会えて良かった」と言うセリフは、本当は「(最後に)会えてよかった」。

呉市は連日爆撃が続き、遊郭から出られず土地勘もない遊女は、他の人より死ぬリスクが格段に高かったのです。イエでの居場所がないと、地域ぐるみの防災対策に加えてもらえないし、「遊女なのだから死んでも仕方ない」と見捨てられたりしたのですよね。

リン「会えてよかった すずさん これ使うたって

テルちゃんの口紅 ほいで キレイにし

みな言うとる 空襲に遭うたらキレイな死体から早う片付けて貰えるそうな」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

リンにとって死はもはや避けられない運命で、野ざらしにならないことだけがせめてもの希望。無邪気に自分をライバル視するすずを、リンは優しく諭します。

「どうせ私はもうすぐ死ぬし、そしたらもう誰も私のことなんて思い出さない。私に夫を取られるかも知れないなんて、心配しなくていいんだよ」と。↓

リン「ねえすずさん 人が死んだら記憶も消えて無うなる 秘密はなかったことになる」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

今にも消えてしまいそうな↑このリンの言葉を聞いて、すずはなんと「よかったぁ!」ってなっちゃうんですよ!! このあたりの下りは、弱者のズルさをよ~く捉えていてすごく怖いです!!!

不実な女と知りながら愛を乞うてしまう

でもすずは、リンのことをあからさまに見下したりはしないんですよ。この状況だと、もしかしたらこの紅、リンがツバで溶かしてすずに塗ってる可能性があるんですけど、それも素直に受け入れています。(紅皿って、水にちょっと溶かして指や筆でくちびるに塗るんですよね。水はどこから? 二人は木の上だし、たぶんだ液…。)

当時は銭湯などで遊女と一緒になったりすると「病気がうつる」といって、嫌がる女性もいたとどこかで聞いたことがあります。実際遊女の性病の罹患率は高く、世間では汚いもののように扱う人も多かったのですね。

それにしても、リンはすずにめちゃくちゃすがっていますよね。「私が生きたことを忘れないで」と紅皿をたくし、紅を塗る口実ですずに触れる細い指。もう死ぬしかないという絶望のどん底にあっても、自分に向けられたわずかばかりの関心をかき集めずにはおれないのです。必死でつながりを求め、媚び、なんて切ない愛情乞食なんだ、リン!!!!

ようやく、この記事の最初のほうでお見せしたこの↑のコマにたどり着きました。

「嫁の座が奪われるかも知れないってハラハラしてたけど、遊女ってどうせすぐ死んじゃうんだもんな。ああ、よかった!」。少なからずリンの思いは受け取っていると思うのですが、この時点ではまだ消化できず、この前後のコマでも彼女はわりと笑ってるんですよね。

男は女を軽く見て、女は男をみくびるように

リンはすずと別れたその足でおそらく周作と顔を合わせるのですが、彼は明るく笑うリンの絶望に気付きません。金にものを言わせて彼女をなぶったくせに、「昔の恋人が元気そうでよかった」くらいの感想しか持たないのです。

周作「おかげでわしもさっき知り合いに会うた 笑うとって安心した」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

すずは周作のようすから、彼が遊女の置かれた状況などまったく興味がないことに気付きます。こんな薄っぺらい軽~い気持ちで、彼はリンと結婚したがっていたのか…。

でね、それに対してすずがどう反応するかと言うと…。

すず「周作さんが笑うとって 安心しました」

こうの史代『この世界の片隅に : 中』

またしても、「よかったぁ~」なんですよ!!! 今回は「周作さんは結局、遊女を身請けする意味なんてよく知らないで恋愛気分で浮かれてただけ。死ぬことにしか希望を見いだせないリンさんの気持ちなんて、みじんもわかんないバカなんじゃない! 焦って損しちゃった~!」って感じでしょうか。

それにしても、こんなムカつく表情、よく描けますよね! すごい! 怖い! みんなゼヒもう一度頭から読んで!

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参考

1.

 講談社「『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる」
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